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浄土真宗のいろは

仏教・浄土真宗のいろは

 仏教とは今からおよそ2500年前に生まれ、お悟りを開いたお釈迦様が、人生の苦しみの原因とその解決方法を説いた教えです。今までに三通りの考え方がありました。
「仏の教え」 そして「仏という真実の教え」、 最後に「仏になる教え」。
 「仏様が説く教え」、「仏様がそのまま教え」、「私が仏になる教え」という意味です。
どれが正解?と、聞きたくなるところですが、実はどれも間違いではありません。しかしその中でも「仏になる教え」という考え方は他の宗教にはない仏教だけの特徴的な考え方です。キリスト教やイスラム教では「私が神になる」という考え方は絶対にしませんよね?
つまり仏教を聞くというのは、知識的に何かを理解するとか、知識を何かの役に立てようということが目的なのではなく、私自身が苦しみと向き合い、仏になっていくということが目的なのです。

仏様とは

 もともとの言葉は「目覚める」という言葉に由来し、「真理に目覚めたもの」という意味です。自分を目覚めさせ、他者も目覚めさせ、自分も他者も苦しみから解放する。そのような存在を「仏様」といいます。仏様は自分と他者を分けません。「あなたの苦しみは私の苦しみである」と、私たちの苦しみを自分の苦しみとして共感し「あなたを救わずにはおれない」という慈悲の心を持っておられます。
童謡詩人 金子みすゞさんの詩に「さびしいとき」という題の詩があります。

「さびしいとき」
私がさびしいときに よその人は知らないの
私がさびしいときに お友だちは笑うの
私がさびしいときに お母さんはやさしいの
私がさびしいときに 仏さまはさびしいの (金子みすゞ)
 
 ここには「私」が寂しいときに私に対する他者の関わりが書かれています。
全くの他人であるよその人は気持ちをわかってくれません。お友達は私を励まそうと笑いかけてくれますが、本当の気持ちはなかなか理解ができません。お母さんは私の気持ちを察して、優しく接してくれます。しかしお母さんと言っても私とは異なる一人の人間。本当の気持ちを完全に理解することはできません。仏様は私の心と全く同じ心になり「あなたのさびしさは私のさびしさ」と本当の意味で気持ちを共有し、私の丸ごと全部を受け止めてくださいます。
 あなたの苦しみは私の苦しみであり、あなたの喜びは私の喜びである、といつも共に同じ立場に立って慈悲の眼差しをもってはたらきかけてくださるお方を仏様といいます。

煩悩こそ苦しみの原因である

 お釈迦様は「煩悩」が苦しみの根本的な原因であるとおっしゃいました。
煩悩とは、簡単にいうと「思い通りにならない現実に対して、思い通りにしたいと思う心」のことです。例えば、あなたが「お酒を飲みたい」と思ったとしましょう。その時にあなたがお医者さんにお酒を止められていたならば「お酒を飲みたい」と強く思えば思うほど、飲めない現実に対して大きな苦しみを感じることになります。ここで大事なのは「お酒が飲めないから苦しい」のではなく「お酒を飲みたいと思う心があるから苦しい」と考えることです。仏教では苦しみの原因は周りの環境ではなく、自分の心にあると考えます。お釈迦様は、代表的な苦しみとして「生老病死(しょうろうびょうし)」という人間が生きる上で避けることのできない4つの苦しみを挙げています。「生」は生まれる苦しみ、「老」は老いる苦しみ、「病」は病気になる苦しみ、「死」は必ず命を終えていかねばならない苦しみのことです。しかし「生老病死」それ自体はもともと苦しみではなく「いつまでも若くいたい」「いつまでも健康でいたい」「いつまでも長く生きていたい」という私の「思い通りにしたいと思う心」があるからこそ先の「生老病死」を苦しみに感じてしまうということになります。

お釈迦様の教え



お釈迦様がお悟りを開いて最初に行ったとされる説法は「四諦八正道(したいはっしょうどう)」という教えです。簡単にいいますと「4つの真理と8つの正しい実践」のことです。

四諦八正道
 ①苦諦(くたい) …私たちが生きる迷いの世界は苦しみに満ちているということ。
 ②集諦(じったい)…その苦しみの原因は私たちの「思い通りにしたい」と執着する心であるということ。
 ③滅諦(めったい)…苦しみが滅した安楽の境地(涅槃)こそが仏道の究極の目標であるということ。
 ④道諦(どうたい)…その涅槃の境地に至るために、八正道という正しい実践があるということ。
お釈迦様がお悟りを開いて最初に行ったとされる説法は「四諦八正道(したいはっしょうどう)」という教えです。簡単にいいますと「4つの真理と8つの正しい実践」のことです。

四諦八正道
 ①苦諦(くたい) …私たちが生きる迷いの世界は苦しみに満ちているということ。
 ②集諦(じったい)…その苦しみの原因は私たちの「思い通りにしたい」と執着する心であるということ。
 ③滅諦(めったい)…苦しみが滅した安楽の境地(涅槃)こそが仏道の究極の目標であるということ。
 ④道諦(どうたい)…その涅槃の境地に至るために、八正道という正しい実践があるということ。
 ④道諦の内容である八正道については、説明が長くなってしまいますので割愛させていただきますが、各宗派によってお悟りへの実践方法はそれぞれ異なります。
 私たち浄土真宗においては「南無阿弥陀仏」のお名号こそが涅槃の境地に至るための正しい道、ということになります。親鸞聖人は「本願醍醐(だいご)の妙薬(みょうやく)」と言われ、阿弥陀様の「南無阿弥陀仏」こそが私たちの苦しみの病を根本から治す唯一のお薬ですよ、とおっしゃいます。

お釈迦様のご生涯

お釈迦様は約2500年程前、ヒマーラヤの麓にあったカピラヴァストゥを居城とする、釈迦族の王家として誕生しました。
お釈迦様が誕生した直後に東西南北にそれぞれ七歩進み、右手で天を指し、左手で地を指しながら次の言葉を発したと伝えられています。
天上天下唯我独尊 (てんじょうてんげ ゆいがどくそん)
三界皆苦吾当安之 (さんがいかいく ごとうあんし) (『修行本起経』)
前半についてはどこかで聞いたことがある言葉ではないでしょうか?私たちがこの「天上天下唯我独尊」と聞くと真っ先にヤンキーや暴走族が旗に掲げるイメージが浮かびますが、実はこれ、お釈迦様のお言葉なのです。「天上天下唯我独尊」という言葉だけ聞きますと「自分が一番偉い!」というように、傲慢な言葉としてよく誤解されています。大事なのはその後に続く言葉「三界皆苦吾当安之」という言葉です。
 「天上天下唯我独尊 三界皆苦吾当安之」というのは「世界で唯一最も尊い生き方がある。それは、迷いの世界で苦しむ人々を安らかにしていくという生き方である(意訳)」というのが正しい解釈です。「自分を差し置いてでも、他者の幸せのために活動していく慈悲の心こそ、この世で最も尊い心なのですよ」と教えてくださるのがこの「誕生偈」と呼ばれる言葉です。
お釈迦様が誕生したと伝えられる4月8日は現在「はなまつり」「灌仏会(かんぶつえ)」というお釈迦様の誕生を祝う行事が営まれています。

・「七歩」の意味
 お釈迦様が誕生した直後七歩あゆみを進めた、というのは「迷いの境涯である六道(六界)を超えた存在」という意味があります。
※六道…地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という6つの迷いの境涯のこと。仏教では人間界だけでなく、天界も迷いの境涯に該当します。

 
・「甘露の雨」
 お釈迦様が誕生した際、天が祝福をし甘露の雨を降らせた、と経典には説かれます。その甘露の雨が降ったという伝説にしたがって「はなまつり」ではお釈迦様の誕生仏に甘茶をかけてお祝いをします。実は誕生の時だけではなく、お悟りを開く時、涅槃に入る時など、お釈迦様の生涯において大事な場面は必ずこの甘露の雨が降ります。肝心な時はいつも祝福の雨。お釈迦様は今でいう「雨男」だったのかもしれませんね。

お名前について

 現在「お釈迦様」と呼ばれているのは、実は「釈迦族」という部族の名前だったのですね。本当のお名前はパーリ語で「ゴータマ・シッダッタ」といいます。サンスクリット語では「ガウタマ・シッダールタ」。(よく目にする「ゴータマ・シッダールタ」とごちゃまぜに表記しているのは実は誤りですのでご注意を!)お悟りを開いた後は、釈迦族出身の聖者という意味で「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」と呼ばれたから、それを略して「釈尊(しゃくそん)」ともお呼びします

王族としての生活

 王族としてお生まれになったお釈迦様は、王宮の中で何不自由のない生活を送っていました。16歳の時にヤショーダラ妃と結婚をし、ラーフラという子を授かりました。結婚をして、家族に恵まれ、誰もが羨むような生活をしていましたが、お釈迦様はこの頃から思索にふけり、深く人生の問題に悩むようになります。出家するきっかけとなったエピソードをいくつかご紹介します。
・樹下の静観(じゅげのせいかん)
 ある日、お釈迦様がまだ少年だった頃、ある木の木陰で休憩しながら、農夫が畑を耕しているのをぼんやりと眺めていました。すると、農夫が耕した土から一匹の虫が掘り起こされ、それを見ていた小鳥が虫をくわえて飛び立ちますが、さらにそれを狙っていた大きな鳥が、その小鳥をとらえて飛び去って行きました。それは一瞬の出来事でした。このような弱肉強食の光景を目の当たりにしたお釈迦様はひどく悲しみました。
 「生きるというのはなんて残酷なんだろう。私も生きるためにたくさんの命を奪って生きている。私もいつかあの虫や鳥のように、突然全てを失うことになるのだろうか。それならば今生きている意味は何なのだろうか。」
 お釈迦様は一人木の下で思い悩み、長時間静かに瞑想されたとのことです。少年の当時からこの世の苦しみに対して、真剣に向き合っていかれました。
・四門出游(しもんしゅつゆう)
 ある日、お釈迦様は従者を連れてお城の外へ出掛けました。城の東西南北にはそれぞれ門があり、お釈迦様はまず東の門から外に出ました。そして、門を出たところでお釈迦様は老人と出会います。
お釈迦様 「従者よ、この者は髭や体が他の者と異なる。この者はどうしたのか?」
従者 「彼は老人です」
お釈迦様 「私もいつかあの老人のようになるのか?」
従者 「そうです。人は誰もが老いていくものです」
 従者からそう聞くと、自分の若さが永遠に続くものではなく、この身はやがて老い衰えていくものであることを自覚したお釈迦様は、ひどく気持ちを落としてしまいました。
そのまま出掛けるような気分でいられなくなったお釈迦様は踵を返して門内に戻ると、次に南の門から外へと出ます。するとそこには病に苦しむ人がいました。辛そうに臥せる病人に視線を向けるお釈迦様に、従者はまた告げます。「人は誰もが病に罹るものです」。
 今健康に快適に生きているこの肉体も、いずれ病に冒されて苦しむ時が来る。自分もまたいずれ病に侵されること事実を知ったお釈迦様は、またしてもショックを受けて城へと戻るのでした。

 次にお釈迦様は西の門から外へ出ることを試みるのですが、そこで出会ったのは死者を送る葬列。沈痛な面持ちで歩く人々と、もはや起き上がることのない死者の姿がそこにはありました。
 人間は死に、葬られて骨になることを免れない。生まれた者は必ず死ぬのだという理を突きつけられたお釈迦様は、自分もまた死を避けられない存在であることに恐怖し、またしても城へと戻るのでした。

 最後にお釈迦様はお城の北の門から外に出かけます。最後に出会ったのは出家修行者。お釈迦様は従者に尋ねます。
お釈迦様 「従者よ。彼の頭や着ている服は他の者と異なる。この者はどういった者だ?」
従者 「彼は出家者です」
お釈迦様 「出家者とはどういう者なんだ?」
従者 「出家者とは、良い行いを実践することによって苦しみからの解放を目指す者たちのことです」
 その出家者の言葉を聞いたお釈迦様はすぐさま決意し、従者に言いました。
お釈迦様 「従者よ。今すぐ車を引き返してくれ。私は今から髪と髭を剃り、袈裟をまとって出家しようと思う」
 そしてお釈迦様は29歳の夜半に王宮を抜け出し、出家をされました。

苦行と挫折

出家をされたお釈迦様は、いろいろな師を訪ねて回りましたが、どれも悟りを得られる道ではないとして、6年の間、苦行を積みました。絶食などをして難行苦行を行い、座ろうとすれば後ろへ倒れ、立とうとすれば前に倒れるほど厳しい修行を行いました。しかし、一向に人生の苦を根本的に取り除く糸口が見つからないまま時が過ぎ、苦行のみでは悟りを得ることが出来ないと理解し、やがて難行苦行の道を捨てることとなりました。
お釈迦様は6年続けた苦行を中断し、やっとの思いで近くのネーランジャー川という川で、やつれやせ細った身体を清めました。川から上がったものの、息も絶え絶えであったお釈迦様は、たまたま通りかかった娘によって助けられます。その娘はスジャータという娘で、手には森の神に捧げるための乳糜(牛乳粥)を持っていました。お釈迦様はその乳粥の布施を受け、それによって命を救われたといいます。
 心身ともに回復したお釈迦様は心を落ち着かせて、近隣のガーヤ村にある森の大きな菩提樹の下で観想に入りました。そして49日目の12月8日に、ついにお悟りを開きました。
お釈迦様がお悟りを開かれたことを、仏教では「成道(じょうどう)」といい、古来よりこの日に「成道会(じょうどうえ)」という法要を厳修しています。悟りを開いた場所であるガヤー村は、お釈迦様の悟った場所という意味の「ブッダガヤ」と呼ばれ、今でも仏教の聖地としてたくさんの仏教徒が訪れています。

中道の教え

 お釈迦様は王族として豊かな環境に恵まれ「楽」に満ちた生活を送り、やがてそれから出家すると、断食などの厳しく「苦」しい修行に6年間励みます。しかしそれらの苦行を捨てたあと、瞑想のうちに悟りを開きました。「楽でも無く、苦でも無い」自分にあった適切な「中道」こそが正しき道であることに気付かれたのです。この「中道」の教えを伝える一つの逸話があります。

 仏弟子の一人にシュローナという方がいました。シュローナという人は、お金持ちの家に生まれました。子供のころから体が弱く、家族から過保護に育てられます。生活の世話は全部召使がやってくれます。用事があって外に出かける時には籠に乗せてもらい、自分で歩くということはほとんどしませんでした。そんなシュローナという人が青年になり、お釈迦様の弟子になりました。しかしお釈迦様や弟子たちは、毎日、托鉢(たくはつ)といって、食べ物をもらうためにあちこち歩き回ります。今まで全く歩いたことのないシュローナは周りの弟子たちについていくだけでも大変です。しかしシュローナは「皆と一緒のことをしなくてはいけない」といって、一生懸命歩きました。もう一歩も歩けないというところまできて「自分にはやっぱり出家の生活は無理かもしれない。もうこのままやっていく自信がない。やっぱりもとの家に帰ろうか」と思ったそうです。そこへお釈迦様がやってきて、シュローナに声を掛けました。
お釈迦様 「あなたは、ビーナーという楽器の名手だったそうだね」
インドにはビーナーというギターのような楽器があったそうです。シュローナはその楽器の名手でした。
シュローナ 「そうです。ビーナーでしたら多少心得がございます」
お釈迦様 「では聞くが、もし弦があまりにも強く張られていた場合、良い音色を奏でるだろうか」
シュローナ 「いえ、強く張りすぎては良い音は出ません」
お釈迦様 「では、弦があまりに緩く張られたならば、良い音色を奏でるだろうか」
シュローナ 「いえ、弱すぎても良い音は出ません」
お釈迦様 「それでは、ビーナーの弦はどれぐらいの強さで張った時に、一番きれいな音をだすのか」
シュローナ 「一本一本弦の太さが違いますので、まちまちでございます。細い弦には細い弦の、太い弦には太い弦の、適切な張りの強さがございます」
 その言葉を聞いたお釈迦様はニコッと笑い「中道の教えも同じである」と答えられました。
 お釈迦様は「精進を重ねることも大切だが、あまりにも苛烈な修行に身を置いてしまうと、心が高ぶってしまい静まることがない。また、修行をゆるやかなものにしてしまえば、怠惰の心が湧いてきて修行にならない。だからよいだろうか、シュローナ。あなたはこれから平らな精進に身を置きなさい。身と心を平穏に保つことを目標にして精進をしてみなさい」と伝え、シュローナの心を励ましたそうです。その後シュローナは自分に合った適切な修行によって悟りを開くことができました。
 このお話から、自分に合った適切な修行によって仏道を歩むことが大切であることがわかります。煩悩を無くすことができず、命尽きるまで欲望や怒りの炎を燃やし続ける私たちは、凡夫(ぼんぶ)と呼ばれる存在です。私たち凡夫にふさわしい仏道こそ、阿弥陀様の他力の教え、浄土真宗のみ教えなのです。
 悟りを開かれたお釈迦様は、その教えを他の人に伝えるべきかどうかを迷ったといいます。しかし伝道を決意し、サールナートの地で5人の旧友に向かって初めて説法を行いました。これを「初転法輪」といいます。この説法の内容は、四諦(4つの真理)と八正道(8つの実践方法)に関するものであったと伝えられています。※詳しい内容については「仏教とは」のページをご覧ください。
 その後もお釈迦様は生涯にわたって伝道の旅を続け、その名声が広まるとともに、多くの信者達ができました。

涅槃に入る

 80歳になられた時、体調を壊されたお釈迦様は、故郷に向かう途中のクシナガラの地でサーラの林に横たわり、入滅されました。お釈迦様はたくさんの弟子達に囲まれて、クシナガラの地で肉体を捨てて、完全なる涅槃寂静の世界に入ったのでした。紀元前486年(一説には紀元前386年)の2月15日のことであったといいます。
お釈迦様は亡くなる前に、第一の弟子である阿難(アーナンダ)に、次のように伝えました。
「私は老い衰え、齢も80に達した。この身体は古い車のようにやっと動いているようなものだ。そのようなものをあてにしてはならない。アーナンダよ、汝らは、ただみずからを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法(真理・正しい教え)を灯明とし、法をよりどころとして、他をよりどころとすることをせず、修行するものこそ、わが比丘たちの中において最高処にあるものである」と説法しました。これが有名な「自灯明、法灯明」の教えです。わたくし亡きあとは、法という灯火によって照らされた「自ら」を依り所にし、その自らを照らす「法」を依り所とせよという、お釈迦様の言葉です。
 お釈迦様が亡くなられた後、弟子たちはお釈迦様を慕い、残された教えと戒律に従って跡を歩もうとし、説かれた法と律とをまとめ上げました。これらが、現在、幾多の時代と国を越えて、膨大な数の経典や律典として伝えられています。